雑炊閣下備忘録

ブログというものを始めてみることにした。どうなるか分からないが、いろいろやってみようと思う。

ヨヨ(バハムートラグーン)に学ぶゲームヒロインの理想の姿

 どうも、お久しぶり。

ブログの更新も随分久しぶりになってしまったけれど、ついこの間、面白いテーマを見つけたので書いてみようと思う。

あーと、前書を決めていたな、そうそう。

「この文章には、あることの他にないことも書かれている。ここで読んだことは、あくまで『ここだけの話』としておいてもらいたい。ご利用は自己責任で、ということである」

・事の発端

 では、始めるとしますか。

 数日前、筆者がいつものようにネットを回遊していた時のことだ。いかにも面白いワードが目に止まった。スクウェア三大悪女というものだ。知らない人も多いだろうから説明すると、かつて存在したRPGメーカー、スクウェア(現スクウェア・エニックス)が発売した昔のRPGにおいて、当時のプレイヤーに深いトラウマを刻みつけたヒロインたち、中でも程度の甚だしい者をこう呼んでいるのだとか。

 この記事では、未プレイながら彼女の与えた影響が筆者の興味を引き、かつヒロインというものの何たるかを考えさせられたので、そこについて書いていこうと思う。

 その中でも、タイトルにもあるヨヨという女の子は相当なものだったらしく、三大悪女の代表格として今もなお深い憎しみを抱かれているらしい。(ちなみに三大悪女の他の二人については、ここでは詳しく触れない。一人は確定しているが、もうひとつの悪女枠は人によって入れ替わりがあるようだ)その強烈さたるや、2016年時点でも場末のブログのコメント欄で活発な議論(擁護派:否定派が3:7くらい)が行われているほどで、ローマの悪名高き暴君ネロのような扱いといえば、ゲームに疎い人でもその凄まじさが分かるだろう。

・ヨヨとは

 で、ヨヨなのだが、彼女は96年発売のSFCSRPG、『バハムートラグーン』の登場人物だ。それも脇役ではなく、れっきとしたメインヒロインだというから、作品の顔みたいなものである。このゲームでは、主人公と彼女のみ、プレイヤーが自由に名前を変えられるというところを見ても、ヨヨが他キャラクターと一線を画す存在であることは分かる。

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 さて、こんな辺境のブログにまでやってくる読者諸兄は(備忘:ネット空間における距離は物理的な距離ではなく、接するコンテンツ、すなわち周囲コンテンツの性質の密度によって表されうるという持論があるのだが、これは後のネタにしよう)、たぶんこの手のお話には造詣が深いであろうから、キャラクター、特に女性キャラクターは基本的に記号化して効率的に伝達することが可能だ。この記号をここでは属性と呼ぶが、ここではヨヨの属性を箇条書きにして伝えることにしよう。

  • 王女
  • 幼馴染
  • 主人公と友達以上恋人未満
  • 攫われる
  • 寝取られる
  • 言動が生々しい

 ……ああ、そうなのだ。言わずとも分かっている。強度が知りたい? では三つだけ挙げておこう。

「所有物を口に出して比較されるシーンがある」

「救出後、着いてきた新しい男と明らかに行為があり、しかも頻繁」

「よりを戻そうとするかのような発言がある」

 本当に驚いた。筆者はNTRをテーマにした同人ソフトの筋かと思った。それぞれの描写があまりにもえげつなく、露骨なのである。小中学生の少年少女たちを対象にしたソフトとはとても思えない、まあ一言でいってスタッフが悪ノリしすぎた作品なのである。シナリオライターが深刻な女性不信に陥っていたことは素人目に見ても分かる。もうこれは、ヒロインをぶち殺せる選択肢を用意してやったらむしろ好評だったのではないか、と真剣に思うレベルだ。

 この記事では彼女の細かい言動については書かないので、ぜひとも一度調べて見て欲しい。人によっていろいろと意見はあるだろうが、まあ20年の時を経た今もなお、地獄の門のごとく燃え盛っていることがよく分かると思う。

・怒り狂うユーザー、擁護するユーザー

 このように、まあ炎上の申し子のようなヨヨなのだが、ユーザーの意見を眺めていると、一定の傾向が見られて面白い。男女問わず、大半はヨヨの行為に否定的なのだが、やはり同性ゆえか、擁護派は女性が多いようだ。また、憎しみを忘れることができないらしく、否定派は冷静さを欠いた意見もけっこう多い。

 で、その意見の中身なのだが、多数派の否定派は

  • 単純に心変わりが許せない
  • 指導者としての資質を疑う
  • 心変わりはともかく言動が不快

という感じであるのに対し、擁護派は

  • 現実の女性もこんなもの
  • 悪女というよりは精神的に幼いだけ
  • ヒロインには主人公と結ばれる義務はない

みたいな内容が多い。全体的に見ると、そもそもスタッフが確信犯で「悪者」として作った感があるキャラクターなので擁護が難しく、否定派が優勢だった。

 ここでは、実際にヨヨが悪女なのかどうか、については議論しない。その代わりに、ユーザーの求めているヒロインとは、一体どういう存在なのかに着目していきたい。

・「現実の女性」との比較の意味

 擁護派の意見でよく目にしたのが、「恋愛は自由であり、現実にもこの程度のことをする女性は普通にいる」というものだった。その真偽はともかくとして、実はこの意見は面白い示唆をふくんでいる。

 この意見は、事実上、架空の世界に形成された架空の女性の人格と疑似恋愛を行うユーザーを批判しているといってよい。「君たちの見ている幻想を基準にするから悪く見えるだけで、現実の基準からするとそうは言えないよ」ということである。そう、これはユーザーたちがヒロインという幻を見ている、という意識が前提にないと出てこない発言なのだ。

 筆者は上で、ヨヨについて解説するために、属性という概念を敢えて用いた。これはゲームヒロインは少数の要素によって表現可能な、記号化の進んだ概念であり、ヨヨもその例に漏れないことを印象づけたかったためだ。筆者は実際にゲームを遊んだわけではないので断言はできないが、1996年当時ならばともかく、NTRが成人向け作品で1ジャンルを築き上げて久しい2017年現在、ヨヨは十分に記号化の範囲に収まる程度に情報量の少ない存在だと断ぜられる。

 言うまでもなく、ヨヨは架空の人物である。96年当時は、架空の女性を扱う言葉に適切なものがなかったというだけで、彼女は実のところ、別段リアルに作られていたわけではないことが、今であればはっきりと述べられる。

 これはヨヨのような言動をする人物が現実にはいないとか、それが平均的であることはあり得ないとか言っているわけではない。そういった比較自体がナンセンスであり、無意味であると言っているのだ。

 なぜなら、現実の人間と比較するには、本来、彼女はあまりに情報不足だからである。もちろんこれはあらゆるゲームキャラクターについて同様のことが言えるわけだが、彼女については、全年齢向けRPGのメインヒロインにあるまじきその設定、言動が、当時のプレイヤーたちに理解不能な感覚として受け止められ、劇中での「おとなになるってかなしいことなの」という本人のセリフ等から、それがあたかも「大人の感覚」であるかのごとく誤解されたきらいがある。

 ヨヨはリアルな(当時のプレイヤーから見て)年長の女性を描いたキャラクターではなく、あたかもそのような印象を与えるキャラクターなのだ。(年長といっても十年以内ではあろうが)

 このことを示すよい傍証として、主人公が振られてしまったことを周囲の登場人物が明確に口にするシーンがある。製作側が意図せずして、ヒロインが主人公以外のキャラクターと恋仲になっていると誤解されるようなシーンを入れてしまうことはたまにあるが、ヨヨの場合は明らかに、スタッフは「振らせた」のであり、プレイヤーがそう感じていることを想定している。当時のユーザーの多くにとって初めての感覚、すなわち「失恋」や「寝取られ」の感覚を、製作側ではほぼ正確に把握し、それを狙って生じさせている。ならば、ヒロインの人格や言動も、そのために作られたものと考えることは自然であろう。

 我々は、理想的な人格者、鉄のような心を持つ人間が現実に多く存在するということには懐疑的だ。ふつう人間はもっと悪いものだと考えるためだ。だが一方で、理想的な悪徳の持ち主については、特に疑わずその実在を信じてしまう傾向があるようだ。しかし考えるまでもなく、実際の人間はそこまで良くもないが、同時に悪くもないのである

 畢竟、創作の世界にリアルな人間など存在しない。あらゆる創作は、人間のリアルさを感じられるほど表現のスペースを持たない。せいぜい、数少ない言動の中で整合性が保たれているか程度の話で、しかも現実の人間の場合はそれすらも保たれない場合が決して少なくないのだ。

 ヨヨはプレイヤーに良くも悪くも衝撃を与えたキャラクターであり、一見すると、確かに創作における「理想の女性」観から自由になった造形をしているかのように見えるかもしれないが、実のところ、それは「現実の女性」と「失恋」が、当時のプレイヤーにとって共に「未知」の領域に存在するために生じ、そして製作側に助長された錯覚にすぎない。言動の一つ一つは、ライターの実体験に基づいている可能性があり、そのため、似た経験のある人にとっては確かにリアルに感じられるかもしれないが、それは必ずしも、投射先であるヨヨに人格と呼べるほどの造形の作り込みが為されていることを意味しないのである。

 ヨヨは飽くまで架空の人物であり、他と比較してその作り込みが細かいということは決して無い。ただ印象が強いだけだ。ゆえに、現実世界の女性を引き合いに出してしまうのは、かなり的はずれな意見になってしまうのである。

・ユーザーの求めるヒロインとは

 なるほど、ヨヨが架空の存在に過ぎず、ゆえに現実との比較にあまり意味がないのは分かった。彼女は底意地の悪いスタッフが、純情な少年少女の心に波紋を起こしてやろうと仕込んだ爆弾だったというわけだ。

 では結局どんなヒロインならば良かったのだろう。普通に救出され、普通に主人公と結ばれるようなヒロインだったら、ここまで記憶には残らなかっただろうし、こうして筆者がブログに書くこともあるまい。彼女が特異な存在であったことは間違いなく、それに関してはまだ分析する価値がある

 上において、「理想の女性」という言葉をちらりと使った。ヨヨを理想の女性とする人間は稀であろうが、一般的にヒロインにこの概念はつきものだ。

 RPGは数あるゲームジャンルの中でも、最もプレイヤーが主人公に感情移入しやすいものの一つだ。プレイヤーは、多かれ少なかれ、主人公に自分を重ね合わせている。これは主人公の持つ強さや容姿を自分のものと錯覚しているという意味ではなく、単純に、視点を主人公に近づけてゲームを遊んでいるという意味だ。プレイヤーは主人公を襲う敵を自分の敵と認識し、共に戦う仲間を友と認識する。主人公がお金を貰ったなら、(ゲーム内でしか使えないが)それはプレイヤーがお金を貰ったのと同じことだ。

 主人公とプレイヤーは基本的に同じ目線に立っており、だからこそ、主人公に栄誉を与える、冒険させるというRPGの内容が娯楽として成立する。主人公がある程度プレイヤーの思い通りに動かせるのも、この感覚をより強くしてくれる。

 さて、ここでヒロインの存在である。シナリオに恋愛要素が含まれる場合(つまり主人公が恋愛する場合)、それはプレイヤーの恋愛体験と(擬似ではあっても)同義であるから、作る側はかなり気を払うことになる。

 プレイヤーを満足させるには、理想的にはその相手、つまりヒロインに対して「本気」になって貰えればいい。ではどうやってヒロインに恋させるか。まず、容姿は端麗でなければならない。何だかんだで、見た目などどうでもいいという人間はごく少数派だからである。好みはあるものの、基本的に「美人」という観念は共通するものなので、これは絵のうまい職人がいればさして難しくない。

 問題は人格の方だ。どんな性格の人間を好ましく思うかは、人によってさまざまだ。これ、といった統一解が出しにくく、造形はかなり難しくなる。このために、様々な性格のヒロインが登場し、ある者は人気を得、ある者は酷評されてきた。だがどんな者であろうと、それが製作者の考える「理想像の一つ」であることは共通してきた。

 これがヒロイン(のみならずキャラクター全般)が記号化し易い理由だが(好ましい、という条件が多様性を損なわせる)、プレイヤー側もこれに早期に順応し、この仕組を受け入れ、提供される恋愛を享受してきた背景がある。

 そこでヨヨに話を戻してみよう。当初、プレイヤーにとって彼女はヒロインであった。これを言い換えると、プレイヤーの為に用意された「理想の女性」の一つ、それも「幼馴染」などの分かり易い属性付けがされた、ステロタイプなものであり、早い話が、プレイヤーの所有物だったのである。

 読者諸兄、特に女性の方は(いないと思うが)こういった書き方をすると反発をするかもしれない。だがこれは人間や女性を物として扱うというメンタリティに基づくものではなく、「架空の人物を、現実の人物と対等視しない」という前提に基づいているのである。

 人間らしく作ってはいるが、それが作り物に過ぎないことを、プレイヤーの誰もが知っている。この感覚は恋愛の疑似体験を著しく阻害するので、通常は無意識下にあるが、プレイヤーは根本の部分で登場人物たちを人形のような、一段劣った存在として認識しているのだ。

 さて、今回与えられた中でもとっておきの所有物、製作側から「こんな女性はどうでしょう?」という提案の具現であったはずのヨヨだが、蓋を開けてみれば、実はプレイヤーの所有物ではなかった。のみならず、あたかも選ぶのは自分の方であるかのように動き出す。ソフト購入前のプレイヤーの特権をあざ笑うかのような暴挙に、これだけで多くの人間が気分を害したのも無理はないといえよう。

 ここにきて、プレイヤーは弄ばれる側の気分をたっぷりと味わわされることになった。特にヨヨに対して攻撃的にならない主人公の人の良さは、誰の目にもとても都合の良い男であるように映る。そしてよくよく観察すれば、それはプレイヤーがあって当然と思っていたヒロイン像に酷似しているのである。

 ヨヨはどんなヒロインならば良かったか。実のところ、プレイヤーの所有物にすることをスタッフが拒否するのならば、悪女と呼ばれる設計は最適な答えではなかったかと筆者は思うのである。

 明らかに、当時のプレイヤーは期待を裏切られ、おまけに「ヒロインは主人公と結ばれて当然」という所有感を皮肉られている。誤解しないで欲しいのだが、背景を考えれば、ヒロインに対して所有物の認識を持つことは、何ら非難されるいわれのない、当然のことである。

 これは、「擬似的な人間を自由にすることに罪悪感を覚えないのか」という、疑似体験の全否定のような問いかけであり、それを言ってはお終いな話なのである。そんなことを言い出すのなら、初めから作らねば良かっただけのことではないか。代価を支払って体験を購入しているプレイヤーに対し、これは本質的に無礼な態度だと筆者は思う。

 だからこそ製作側にとって、ヨヨは悪女でなければならなかった。プレイヤー側で「こんなのなら要らない」と思ってもらうことが出来れば向こうの溜飲も下がるし、「心変わりするのは良かったけれど、その後の言動が良くなかった」と怒りの所在をすり替えることも出来るからである。

 実際は違うのだ。プレイヤーが怒るべきは、「自分のものでもないものを、あたかもそうであるかのように見せかけられた」ことなのである。「現実の人間の恋愛観は自由」だからといって、そもそも現実の人間でない架空の存在に同様の基準を適用せねばならない義務など、プレイヤーには存在しない。

 これは「人間に似たものを人間扱いしていない」ことに対するプレイヤーのひそかな罪悪感を自ら暴いておきながら、そこから目を逸らせるような材料を配置しておくという、プレイヤーをからかうような所業なのである。

 娯楽の溢れる現代、受け手も作り手も斬新なものを求めているから、時にヒヤリとさせられるような作品が出て来ること自体はいい。しかし面白半分につつくべきではない領域でもあると筆者は思う。今作ではヒロインを悪女としたことで、プレイヤーから気づきの機会を奪い、ただただ不快な気分のみを残す結果に終わってしまった。

 「架空の人物を大切に思うのなら、物としてではなく人間として扱うべきでは?」そう問いかけるよい象徴となれたかもしれないヨヨは、恐らくはライターの覚悟のなさによって、単に嫌な女になってしまったのだ。筆者にはそれが不憫でならない。