雑炊閣下備忘録

ブログというものを始めてみることにした。どうなるか分からないが、いろいろやってみようと思う。

ドラゴンズドグマ2はクソゲーである

はじめに

 さる3月22日、『ドラゴンズドグマ2』(以下、本作)が発売された。

 かのCAPCOMが贈る新作ファンタジーアクションRPGであるこのゲームは、PS3時代に発売された『ドラゴンズドグマ』(以下、前作)の正統なる続編であり、これはタイトルコールに表示されるロゴが『DRAGON’S DOGMA』(「2」がない)であることにもありありと表れている。

 さて、ここに問題が一つ。前作は端的に言ってかなり微妙なゲームであり、本作はそんな前作の血を不必要なほどに色濃く継いでいるということだ。

 ドラゴンズドグマ2』はクソゲーである。前作のファンであり、今作を満喫している筆者だからこそ、声を大にして言いたい。ファン心理に半ば反することであるが、ゲーマーとしての良心から、こうするのである。本作はファンを含むプレイヤーたちから死ぬほど叩かれまくった方がいいし、開発陣にはその覚悟があると筆者は信ずる。かなり厳しい内容の記事なので、このことをまず書いておきたかった。

 

 筆者はいまさら「クソゲーとは何か」などという回りくどい話をするつもりはない。内容が如何なるものであれ、クソゲープレイしたものに何事かを叫ばせたくなる強烈なパトスを喚起する。本作はその例に漏れず、まぎれもない、令和に現れ燦然と輝く大作クソゲーの一角と述べることが出来る。

 ところで、本作はそれなりにコアな作風であることが事前に分かっていたわけであるが、そんな本作に果敢に調整する覚者たち*1恐怖の悲鳴を上げさせてやまないものとはいったい、何なのか?

 それらは、不親切を通り越して単にプレイヤーに苦痛を与えることのみにフォーカスを与えているがごとき、苛烈な仕様である。断っておくが、本作の難易度は、『ダークソウル』シリーズなどに代表される所謂「死にゲー」とは比較にならないほど低く、選ぶジョブ(職業)にもよるが、さほど操作が上手くなくても十分にクリアできる。

 「勝てない苦痛」や「クリアできない悲しみ」のようなものと、本作は無縁である。その代わりにあるのは、果てしなく続く荒野を目にしたときのような、純粋なダルさである。筆者や読者が日常生活で幾度となく出くわしているであろう雑魚モンスターが、このファンタジー世界では猛威を振るうのだ。それでは綺羅星のごとき要素の数々を、丁寧に見ていくとしよう。ネタバレには特に配慮していないので注意。

ファストトラベルの制限

 まずは最も槍玉に挙げられる、「自由にファストトラベルが出来ない」仕様。これは、たとえば『サイバーパンク2077』にあったような、特定の地点からしかファストトラベルが出来ないなどといったヌルいものではなく、「ファストトラベルが貴重な消費アイテム制で、かつファストトラベル可能な地点が極めて少ない」という仕様である。

 よく知られたことであるが、この仕様は前作からあったもので、今作から新たに加わったものではない。そして言うまでもないが、前作の時点で極めて不評であった。そんな控えめに言って最悪な仕様をなぜ改めて実装したのか、それは本作の発売前インタビューで丁寧に語られている。

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 これに関して、筆者の感想を一言でまとめよう。

 ふざけるなよ。

移動を面白くしてくれるって約束は!?

 本作の移動は別に面白くない。移動速度が単純に遅すぎて爽快感がないし(特に上りの坂道で顕著)、出てくる敵の種類もある程度したらそんなにいないと気づく。あちこちでイベントがあるかと言えば別にそういうわけでもなく、何かあるかと思えば似たような作りの洞窟があるばかりである。昼はいなかったゾンビが夜は湧いたりするが、だから何だという感じでしかない。景色は綺麗なところもあるが、狭隘な山岳地帯が多いため遠くを見渡せるロケーションが少なく、世界の果てを見渡して、あそこには何があるのか、と考えるような体験もない。

 逆にどこを楽しめと言うのか真剣に疑問である。筆者は本作をかなり楽しんでいるが、移動に関しては自分で勝手に意味づけをしない限りは楽しめるとは到底思えない。

こいつらいつも同じこと喋ってんな

 退屈な移動を盛り上げてくれる(はずだった)ポーン*2たちのお喋りの出来があまりよろしくない。全員敬語口調なのはまあそういうゲームだからということで良いが、道中の雑談のパターンがかなり少ない(だいたい4種類くらいでループする)し、なんか発見しても「あれ」とか「それ」とか言うばかりでカメラフォーカスもされないので分かりにくいし、極めつけは「あそこに梯子がありますよ!」みたいな誰でも見りゃ分かる梯子について何度も何度も言及し、ご丁寧にマップに「!」マークを刻み付けてくれる。何回言ったら分かるんじゃ。その先にある宝箱はもう取ったわ。登らんっつっとるやろがい。

襲撃されすぎる牛車。西部劇の機関車かな?

 本作には、消費アイテムを使ったファストトラベルのほかに、拠点同士をつないでいる「牛車」のネットワークを利用するものがある。ならばそれを利用すればいいと考えるかもしれないが、そこは本作、一筋縄ではいかない。

 牛車を利用すると、体感7割くらいの確率で魔物の襲撃を受け、道中のなかば(本当にど真ん中のどっちに行くにも遠い地点)でファストトラベルが中断する。プレイヤーは襲い来る魔物や野盗たちから牛車を守るべく戦い、倒しきればまた牛車に乗ってファストトラベルを再開できるというわけだ。しかし、ここでたとえばミノタウロスの突進が牛車に当たったりなどすると、その時点で牛車は粉砕され、ファストトラベルの再開は不可能になる。つまり、消費アイテム制のファストトラベルを使うか、徒歩で拠点まで移動するしかなくなる。こういうことは珍しくないどころか、頻繁に起きる。

 ファストトラベルを多用するゲームは確かに単調になりやすい。近くの例を挙げれば『Starfield』はまさにこの轍を踏んでいた。なので、繰り返されるファストトラベルにちょっとしたスパイスを加えようということ自体は、そんなに悪いアイデアではない。

 問題は、ファストトラベルの機会自体が貴重(牛車はそもそも路線が三、四本くらいしかないし、別に増えない)な本作において、スパイスを加えるような余地がそもそもないことと、襲撃される確率があまりに高すぎて、襲撃を受けることが当然の状態になっていることだ。このため、本作ではどちらかといえば平穏に目的地に到着する方が「おっ、今回は珍しく何事もなかったじゃ~ん」という感じでスパイスになる。こういうことを本末転倒と言う。ふざけるなよ。

 ちなみに、プレイヤーが繰り返す行為に何かしらの変化を挿入することで新鮮味を加えようという発想は、本作では随所にみられる。たとえば、本作の主要なHP回復手段である野営でも、事前に周囲の魔物をしっかり掃討しておかなければ襲撃されるリスクがある(襲撃されると野営道具が破壊されるリスクがあるところは牛車とよく似ているので、考えたヤツもたぶん同じだろう。ふざけるなよ)。また、首都たる城塞都市でもいきなり魔物が人々を襲撃してくることはあるし、何気なく宿屋に泊っただけでNPCが全滅したりもする(後述)。一周回って逆に感心するのが、このどれもが言うほど面白くなく、むしろこれによる不便が際立っている。しかも、それは素人目にも事前に予測可能だったということだ。本作は「何度も繰り返す行為は退屈」という事実には熱のこもった視線を向けているが、一方で「だから手早く済ませたい」という下の句からは意図的に目を逸らしている節がある。

残念な仲間のAI

意図の伝わらない命令

 次に紹介するのは、本作の目玉でもあるポーンのAIの出来が不十分なことである。ゲーム中、プレイヤーはポーンたちに対し、「GO(行け)」「COME(来い)」「HELP(助けて)」「WAIT(待て)」の四つの命令を出せる。これは少ないように思えるかもしれないが、操作の単純化という点で考えると妥当な数であるし、AIがしっかりしていれば問題はない。

 まあ本作のAIはぜんぜんしっかりしていないので、実際には大きな問題になっているのだが。たとえば筆者はソーサラー(魔術師)のキャラクターで遊んでいたので、ポーンたちには前衛として、特に狭く見通しの悪い洞窟などでは先行してもらいたいわけであるが、洞窟のなかでいくら「GO」を連打しようと、重厚な鎧に身を包んだ屈強なポーンたちはそんな理不尽な命令は聞けないとばかりに、頑として前に出ようとしない。その装備は飾りか? しかも、筆者がゴブリンに出くわし、慌てて来た道を戻ると、筆者を追って目の前を横切っていくゴブリンを剣も抜かずに見つめている。前衛を務めていた(本来後衛の)主人が必死で引き返して来たら、その時点で臨戦態勢になるべきだと思うんだが?

 他には、洞窟を探索中に「GO」を押すと、追跡中のクエストへの道案内が発動するのも、気配りがまるでなっていない仕様と言わざるを得ない。クエストを無視して洞窟突っ込んでんだから「探索を手伝え」の意味しかねえだろ!? 誰がお城の舞踏会に潜入する話してんだよ状況分かってんのか?(分かってない)

足下がお留守ですよ

 足場の認識も甘い。筆者はすでに二回ほど、メインポーン*3のオッサンが戦闘中に水場に落ち、問答無用でロスト(溺死)するさまを目撃している。吹き飛ばしやノックバックでやむなくという話では無論ない。戦闘に夢中になるあまりの入水である。こうした不出来なAIキャラを搭載したゲームでは、今日日、救済措置としてすぐにNPCが復帰するシステムなどがつきものであるが、本作にそんな気の利いたものはない。メインポーンを復活させたければ、最寄りのリムストーン*4まで移動するしかないのだ。

 ちなみにメインポーンはロストするたびに体に傷が増える。よくもまあこんなプレイヤーに嫌われそうな要素ばかり実装するものだが、意図としては歴戦の勇士であることの表現であろう。しかしながら、自分で水に飛び込んで触手プレイのあげくにロストしたヤツの傷など淫紋と同じである。その傷を恥じろ。

出来ない意思疎通

 本作は前作に比べて、ポーンとの交流要素が充実している。といっても、言語的なコミュニケーションの面では上に書いた通りショボくて話にならず、ここで述べるのはもっぱらジェスチャーやハイタッチなどのスキンシップである。

 たとえば落下ダメージ必至な高所から、低所にいるポーンめがけてジャンプすると、ポーンはしっかりとプレイヤーを受け止めてくれる。「私を足場にしてください!」的なことを叫んで踏み台になってくれ、高く打ち上げてくれたり、戦闘が終わるとひそかにガッツポーズをしていたり、プレイヤーとハイタッチしたり拳をぶつけ合わせたりしてくれて、共闘感が増す。

 ところが、うん……残念なことに、ここにも問題はある。それはこうした心温まる交流の暴発や不発が絶えないことである。

 戦闘が終わったあと、ふと見ると、ポーンが片手を出してじっとしている。ハイタッチを求めているのだ。戦闘が終わって一息過ぎており、タイミング的にはやや遅いが、乾杯の時に微妙にジョッキが当たらなかったような感じに違いない。そう思って近づくと、ハイタッチの受付時間は終わっているらしく、手を突き出しているのに何もしない。じゃあ手を引っ込めろや。

 かと思えば、敵の一部を倒し、画面の奥から次の敵が迫っているにも関わらず、呑気にハイタッチのアニメーションが始まる。ハイタッチ中はダメージ判定を受け付けないらしく無敵だが、そういう問題ではない。特に魔法系の後衛にとって、敵が近接距離に到達するまでは詠唱のゴールデンタイムなので、ハイタッチの時間は生死に関わるロスである。

 上から飛び降りるのも、ぶっちゃけそんな使いどころはない。なぜならポーン共が無傷で降りられる場所は、プレイヤーも無傷で降りられるのであり、かつこいつらは素早く降りて主人を受け止めようなどという気の利いたことは一切思いつかないので、低所にポーンだけがいるというシチュエーション自体が珍しいからである。

 このように本作のポーンたちは、その力の入りようとは裏腹に、残念なオツムによって前作とあまり変わらないポンコツ従者と化している。筆者は今作をかなり楽しんでいる方だと思うが、上に書いた洞窟探索の挙動やハイタッチの挙動はさすがにイラっときたし、この欠点を放置する合理的な理由はちょっと思いつかなかったので、純粋に技術的な限界なのであろう。AIをしっかり作りこめるゲーム会社は決して多くないのでこの点を責めるつもりはないが、それならばそれなりのゲームデザインもあっただろうに。切れ味鋭い刀が前提の戦術をなまくら刀で実践するんじゃねえ……。

セーブデータはお一人につきお一つまでとなります!

 次に、理不尽度の高い仕様として、セーブデータの取り扱いについて述べる。

 まずはセーブデータだが、本作は事実上単一セーブ制を採用している。オープンワールドのゲームはその物量やプレイヤーの自由度もあってデバッグが難しく、しばしばクエストの進行不能のような深刻な不具合が生じうるため、プレイヤーが任意で複数のセーブデータを保持し、詰みを自主的に防止するのが主流である。これを裏付ける事実として、最近の作品では大抵、セーブ画面に入った時点で新しくファイルを作る選択肢にカーソルが合わせられており、複数のデータを残すことが推奨されている。

 本作ではセーブデータは上書きされる仕様なので、バグなどによってクエストが進行不能になった場合、リカバリーは困難である。本作ではクエスト進行に必要なNPCが死亡した場合などにも進行不能となるので、他作品と比べてもこうしたリスクは高い方なのだが、それでなぜ単一セーブ制を採用するに至ったのか理解に苦しむ。一応どちらにも対策はあるが、そのいずれも小さくない問題を抱えている。冒険は一回きりだから初回の体験を楽しめって? 二周目があるのと矛盾してない?

ニューゲームが選べなくなったんですが……

 この仕様が生んだ弊害としては、すでに有名な「ニューゲームできない」問題がある。本作のタイトル画面で「ニューゲーム」の選択肢が出てくるのは、セーブデータが存在しない場合に限られる。つまり、セーブデータがある状態で、たとえばキャラメイクをやり直したいなどの理由でニューゲームを選ぼうとしても、それはシステム的に許容されないのである。

 どうしても新しくゲームを始めたければ、手動でセーブデータを削除するしかないが、セーブデータを一つしか持たせないことにこだわるとしても、ニューゲームさせたあとで上書きすればいいだけの話なのでまるで意図が分からない。単に無能なのであろう。

 余談になるが、このことはゲーム内での再キャラメイクが消費アイテム制で、かつこのアイテムが消費型DLCとして売られたこともあって物議を醸した。擁護するわけではないが、DLCを売るためにニューゲームの選択肢を削除したとは考えにくく(くだんのアイテムはゲーム内でそれほど苦労なく入手できる)、開発の妙な拘りによって生まれた不親切同士が偶然の悪魔合体を起こしてプレイヤーへの虐待と化しただけだと思われる。

 さらに余談になるが、前作からの仕様としてキャラクターの体格は性能に直結する仕様のため、キャラメイク次第で多少の有利不利は生じる。このことも火に油を注ぐ結果となった。だからそのこだわりを捨てろって。

粗すぎる詰み対策

 公平のために、ここで宿屋におけるオートセーブに触れておこう。本作では宿屋に宿泊した際にオートセーブされ、これは通常のセーブデータとは別枠になる(本稿では「宿屋セーブ」と呼ぶことにする)。つまり厳密には単一セーブ制ではなく、二セーブ制なのである。しかしこれは、残念ながらまともに機能しておらず、ちょうどよい所でのリカバリーは期待できない。

 理由としてはまず、本作では宿屋のある拠点自体が限られており、そこで過ごす時間は少なく、圧倒的な時間をフィールドでの探索に費やすことになる。宿屋の回復と同等以上の効果はフィールドに点在する野営地点で寝泊まりすることで得られるが、残念ながら野営での宿泊は宿屋のセーブの対象外である。このため、宿屋への宿泊はただでさえ期間が開きやすい。

 さらに、本作における宿屋の宿泊料金はかなり高めに設定されており、安い所でさえ安い消費アイテムの十倍以上(1000~2000G)はする。むろん、移動が不便な本作において回復のためにいちいち戦闘しながら宿賃の安い拠点に向かうのは本末転倒であり、これも宿屋から足が遠のく一因である。まとまった出費をして自宅を購入すればこうした悩みから解放されるが(それでも自宅のある拠点にわざわざ戻る手間はある)、自宅購入のためのクエストはある程度ゲームを進めないと出現しない。普通に売っとけよ……。

 こうした理由から、頻繁に宿屋でそれなりに痛い出費をする覚悟がなければ、宿屋セーブは数時間を巻き戻す選択肢になってしまいかねないため、よくて最終手段にしかなりえない。ちなみに宿屋セーブの真の恐ろしさは別の所にあるのだが、それについては後述する。

 セーブの話からはやや脱線するがついでに触れると、NPCの死亡についてもアイテムを使うことで蘇生は可能である。しかし、このアイテムがまた貴重な消費型であり、おいそれと手に入るものではない。しかもプレイヤーの復活にも使えるものなので、ゲーム初心者の場合、使い切ってしまう可能性も高い。

 このように、単一セーブによる弊害を防ぐための措置は一応講じられているのだが、いずれも開発の無駄なこだわりによって有効に機能しているとは言い難い。なんにせよ複数セーブ制にすればそれで済む話でしかないのが悲しい所である。

伝説のイベント「竜憑き」

 次に徐々に知名度が上がってきたゲーム史に残る極悪イベント「竜憑き」について述べる。これはざっくり説明すると、ポーンが発狂して言うことを聞かなくなり、病状が進行すると宿屋に泊ったタイミングで現地のNPCを皆殺しにするという仕様である。

結果が地獄

 いくつか問題があるのだが、まず結果の部分から述べよう。現地のNPCを皆殺しにするというのは、現地のNPCを皆殺しにするという意味である。例外はなく、メインクエストのキーパーソンであろうが、特に冒険に絡まずどうでもいい定型文しか吐かない老婆であろうが、分け隔てなく、マジでご丁寧に全員抹殺する。いちおう、店主など施設の管理NPCについては時間経過で復活するが、それ以外のNPCは死にっぱなしなので、彼らの絡むクエストは当然進行不能になる

 これが作中随一の大都市で起きた場合にどうなるのかは、想像に難くないだろう。いわゆるクソゲーを除けば、プレイヤーにこれほどのデメリットをもたらすイベントにはまずお目にかかれない。中学生がRPGツクールで開発した自作ゲームですら実装を躊躇うだろう。こんなものが令和のこの時代に、日本の流通品の中に平然と存在していることを思うと、筆者は皮肉とかでなく胸が熱くなる。こんな頭のおかしいゲームを作るやつらでも大手を振って生きていていいのだ。人生に何の悩みがあろう。いやあったわ、お前だよドラゴンズドグマ2。

回避が困難

 このイベントの凶悪さを補強するのは、回避が困難なところである。第一に気付きにくい。前述したように竜憑きになったポーンは言うことを聞かなくなるのだが、これが非常に分かりにくい。AIがお粗末なせいで、そもそもポーン共に言うことを聞くイメージはあまりない。暴走してんのが竜憑きなのかAIなのか分からんのである。次に、喋っている内容がいつもより好戦的になるのだが、「ヒャッハーッ! ゴブリン共を皆殺しにしてやるぜッ! 超気持ちイィーッ!」とか言ってくれるならともかく、いつも通り全部丁寧語なので、竜憑きというものがなければスルーしてしまいやすい。見た目の変化としては目が赤くなるのだが、今作ではキャラメイクの自由度が高く、もともと目が赤いキャラなぞザラにいるうえ、兜のバイザーを下ろしていてそもそも目の色など見えないキャラも多い。

 こうした気づきにくさに加え、竜憑きという事象によって上述したような壮絶な事態が招かれるとは普通想像せず、なんなら好奇心で進行させてしまう可能性すらある。プレイヤーと世界観との温度差が大きすぎるのである。

治療法が最悪

 最後に、解決する手段にも問題がある。竜憑きが雇用しているサブポーンならば解雇するだけで事は済むが、メインポーンが感染した場合、今のところロストさせる以外の解決策は見つかっていない。

 一番簡単な方法は、崖から海に投げ落とすことである。ロストするとメインポーンは復活時に竜憑きでなくなっているが、ロストしたことに変わりはないため前述したように傷は増える。ワクチンの痕みたいなもんだね! 竜に引き裂かれでもしたかのようなデカい傷だけどな! ちなみに傷を消す手段もちゃんと存在している。それは世界の果てにある温泉に連れて行くことだ。舐めてんのか?

そして牙を剥く刺客

 最後にオマケをつけくわえておこう。竜憑きの暴走イベントの条件は、竜憑きが進行しきった状態で宿屋に泊ることである。そう……もうお分かりだろう!!!

 本作のなんちゃって詰み防止機能である宿屋セーブはここで本領を発揮し、なんとNPCが全滅させられたところで渾身のセーブをキメるのである。とうぜん、ロードによるやり直しは不可能となる。さらに「周囲の罪なき人々は命を落としました 観察力と判断力があれば、対処できたかもしれません」などという煽りメッセージの表示も忘れない。これは、もう……。

 詰み防止とは何なのか。そんな哲学的な問いを投げかけてくるゲームは世界広しとはいえ本作だけであろう。いや本作以外にあってはならない。存在しないでくれ。切にそう願う。

 ここまで見てきたように、本作にはプレイヤーに対する虐待としか言いようのない仕様が無数に組み込まれている。それらは、一つ一つは小さな欠点に過ぎないが、互いに共鳴し、高め合うことでプレイヤーの精神に強烈なダメージを与える、いわばマイナスエネルギーの元気玉である。これほどの仕打ちを受けてなお本作を楽しむ筆者を、ある知人は「DV被害者」と呼んだ。

なぜドラゴンズドグマ2はクソゲーなのか

 筆者は本作をクソゲーだと断ずるが、本作はクソゲーにしては珍しく、完全に意図されて生み出されたクソゲーである。即ち、一般的にゲーム開発者は少なくとも自覚的にはクソゲーを作ろうとはしないものなのであるが、本作に限ってはこの事情は異なる。

 前作は同時代のオープンワールドRPGと比較しても、微妙という評価を免れないゲームであった。そして、そう断ぜられる理由は本作ほどではないが、本作と概ね似通っている。それは、プレイヤービリティというものを敢えて無視するかのごとき、過酷なゲームデザインによるものであった。

 たとえば、重量による厳しい持ち物制限。前作も本作も、キャラクターたちが持ち運べる重量はわずかであって、たとえば余分な装備などを持ち歩く余裕は無いと言ってよい。オープンワールドらしくフィールドの各所には素材の採集ポイントがあるし、敵を倒せばその素材もドロップする。しかしこうしたものを逐一拾っていくと、あっという間に重量制限を超過してしまい、ただでさえ低い移動速度がさらに落ち、酷い場合はジャンプやダッシュすらできなくなる。しかも肉や野菜は腐る。

 また、非戦闘時にも関わらず容赦なく消費されるスタミナ。そもそもダッシュしても大して速くはないが、ドラゴンズドグマシリーズは僅かな時間短縮も認めようとしない。フィールドは徒歩で鈍行するのが当然、そうとでも言いたいようなデザインだ。

 こうしたはっきり欠点と言って良い特徴は、何の改善もなく本作に引き継がれた。その意図の根底にあるのは、プレイヤー中心のゲーム開発に対する強い反発である。

プレイヤーを否定することで為される開拓

 これだけ書けば全くもって狂人の発想と言うしかないし、ぶっちゃけ筆者は普通に狂人の発想だとも思うのだが、実はこの発想そのものは必ずしも間違いと言いきれないところがある。

 RPGの面白さ、楽しみというものは、実のところかなり多くの要素を含みうるものである。そしてその中には、不便さと表裏一体の要素も存在する。たとえば、上で挙げた牛車や野営の襲撃である。旅の途中、不意に魔物に襲われて迎撃する。いかにもファンタジー物語の序章にありそうな展開で、そこからなにかドラマが展開しそうな予感がするではないか。

 しかし実際には、こうした要素を実装した作品は少なく、近年で大手の作品となると本作くらいしかないのではないかと思われる。その理由は簡単で、結局のところ単発のイベントとして実装しない限り、プレイヤーが期待するようなドラマにはつながって行かないからである。

 つまり、それっぽいだけで、別に物語の序章でも何でもなく、襲撃がありました、撃退しました、終わり。という起承転結すらないしょうもない一コマになってしまうということだ。

 となると、こういった要素がもたらすのは、実際には移動における不便さのみということになる。これが分かっているから、普通の開発者は実装を避けるのだ。

 ドラゴンズドグマシリーズは、こういった、普通のRPGが取りこぼしてしまうプリミティブな面白さを採り入れようと悪戦苦闘してきた印象がある。

 筆者だけかもしれないが、そこからは「苦しむプレイヤーがいくらいたってかまわない。俺たちで新しいRPGを生み出そう!」という、傲慢とすら言える確かな気概が感じられる。

 筆者は本作をまぎれもないクソゲーだと思っている。プレイヤーを踏みにじり、その努力を無に帰するような本作は、そう断ぜられて当然だし、批判を受けるべき作品であるのは間違いない。

 しかし、本作がその狂気的ともいえる情熱のために、他の誰も作らないような作品に仕上がっているのも、また事実である。令和の今日、誰がファストトラベルに制限をかけようか。誰が、NPCを全滅させるような理不尽なイベントを作ろうか。

 この一点が、筆者が本作を嫌いになれない唯一にして極めて大きなところなのである。

 そしてこの道は、実は「死にゲー」と呼ばれる作品群が新天地を切り開いていったのとよく似ている。ジャンルが確立するまで、誰もやたらに高難易度のゲームが良いものになるだろうとは考えていなかったのである。(本作の開発者もこれを意識していることは、冒頭にあげたインタビューでも語られている)

高く掲げた理想と、低く堕ちた現実

 実のところ、皮肉や嫌味ではなく素直な意味で、筆者は本作をかなり楽しんで遊んでいる。しかし畢竟、プレイヤーがその気になって全力を尽くせば、楽しめないゲームと言うものは存在しない。ほんの子供でさえ、何の意味もない棒きれを人や、乗り物や、建物や動物に見立てて遊ぶことができるのである。

 だからこそ、万人が楽しめる快適性や、(ここが本作においてもっとも罪深いポイントなのだが)ナラティブに欠けた作品は称賛されるべきではない。

 たとえば本作は、水に入って泳ぐことが出来ない。泳ぎが必要な深さの水深に入ると、「ヒュージブル」という触手の怪物に襲われ、ただちにゲームオーバーになってしまうからである。これは前作でも同様であった。

 筆者は本作でも健在のヒュージブルを見た時、ファンとして心底失望した。ヒュージブルは、シリーズの拙いナラティブの象徴と言える存在だったからである。

 なぜ水に入れないのか。それは水中に無敵の怪物がいるからだ。それは海にも川にも、ある程度深い所ならどこにでもいて、どんなに強い冒険者でも怪物でも問答無用で溺死させる。しかし、いざ溺れるまではその姿は影も形も見えはしない。

 一体なぜ? そんなに圧倒的な怪物ならば、地上に出てきて制覇したっていいではないか。水中に蠢いているというなら、水上から観察できたっていい。なぜそうなっていない?

 要するに設定として不自然なのである。実のところ、泳げない最大の理由は、水中を泳ぐモーションや移動の自由度によって上がるレベルデザインのコストを掛けたくなかったり、より本作らしいところでは、橋を探して川を渡るという体験を実装したかったから、という開発側の事情に他ならない。

 本作が掲げる理想を素直に信じるなら、川を泳いで渡ることを試みられても良いはずである。重い鎧を着ていると沈んでしまったり、身体が冷えて渡り切る前に溺れてしまったりするかもしれないが、これらは不便ではあるがリアルなファンタジー体験として許容されるべきではないか。

 こうしたことを恣意的に排除しながら、自分たちの事情で実装できる要素についてはプレイヤーを無視してこだわる。しかも排除につける理屈があまりにいい加減である。自分たちしか見ないのか、プレイヤーに目線を送るのか。いずれにしても中途半端としか言いようのない態度である。

 本作は、プレイヤーにへつらうことをやめ、叩かれて当然の前作の路線を敢えて継承しながら、その中途半端さを改めることもなかったという点で、正しくクソゲーである。本当にファストトラベルが便利すぎて問題だというなら、消費アイテムや牛車によるファストトラベルなど実装すべきではなかった。プレイヤーに迎合することからも、茨の道を行くことからも逃げてしまった作品、それがドラゴンズドグマなのだ。

終わりに

 ここまで触れてこなかったが、本作には素直に認めるべき美点も多い。モンスターのグラフィックやモーション、戦闘の時の操作の楽しさ、贋作や他国へ不法入国するといった「ズルをしている」楽しさ、詳細で緻密なキャラメイクと、それを共有できるポーンシステム。アクションの派手さも老舗ならではの貫禄だし、個性的な数々のジョブによって、キャラクターの育成も存分に楽しめる。

 こうした要素もあるため、実のところ、とことんロールプレイをして本作の仕様に付き合ってやるつもりでいけば、本作は決して楽しめないゲームではない。

 特に不足しているナラティブを自分で補ってやれば、本作の欠陥仕様の一つ一つが、それなりに「遊べる」不便さであることは確かだと思えてくる。(たとえば馬に乗ったり、あまり必死に走ってはいけない修行をしている奴が主人公だとロールプレイするなど)

 しかしながら、本作はもっと納得のゆく仕様で、もっと気軽に楽しめるものにしようと思えば出来たはずである。便利にしろと言っているわけではない。なんならもっと不便でもいい。しかしその不便さに意味を見出すことを、あまりにプレイヤーに丸投げにしていないだろうか。異世界に放り込まれて右も左も分からない覚者たちに、「これが当然」という乱暴な態度をとってはいないだろうか。あれほど流通している刹那の秘石(ファストトラベルアイテム)が値崩れもせず、10000Gもするのも、各地の宿屋がたった一泊するだけでRPGとして法外な値段を請求してくるのも、もっと意味づけが出来たはずである。それが出来ていないから、獣人の国でいきなり宿賃に10000Gを請求されても、それがボッたくられているのだとプレイヤーは咄嗟に気付けなくなってしまう。これが没入感の阻害でなくて、何だというのだろうか。

 本作は、誠に遺憾ながら、そのコンセプトから期待される水準を満たしているとはいえない。それどころか、その遥か手前にいると言える。

 本作を心から楽しんでいる少数派のプレイヤーだからこそ声を大にして言いたい。

 甘えんな。ちゃんと作れ。

*1:本作のプレイヤーキャラのこと

*2:コンパニオンキャラ。忠実なアンドロイドみたいな奴らで、一応微妙に個性はある

*3:最初にキャラメイクで作る、主人公の相棒枠のポーン

*4:ポーンを雇える謎の石。各拠点とフィールドに散在している