さきほど観てきたので、語っていく。
全体的な評価としてはまあまあといったところ。点数にすると68/100だろう。
良いところと悪いところが素人目にもかなりはっきりしている作品で、悪いところは逆になんでこれが良いと思ったのか不思議になるくらいである。
この記事ではよくある感想ブログの構成にのっとり、良いところと悪いところを順に挙げて解説していく。
記事が長くなったので、今回は良いところのみ。
↓後編
(ネタバレあり)『ゴジラ-1.0』鑑賞直後の感想~悪いところ~ - 雑炊閣下備忘録
良いところ
悪いところ
- 人間ドラマパートのリアリティの低さ
- 台詞のオリジナリティのなさ
- 時代背景による制約
- 無用のファンサービス
良いところ
1.ゴジラの描写
CG
今回のゴジラは『シン・ゴジラ』以降の潮流を踏襲し、完全なCG怪獣となっている。海で登場するシーンが多いため、下半身は隠れがちだが、その代わり日中のシーンが多く、ゴジラの姿を闇で誤魔化さず表現している点はかなり評価できる。
デザイン
おそらく原爆の被害者をイメージしたであろう、焼け爛れたような表皮の質感、平成ゴジラの意匠に倣いつつも、より凶悪になった面構え、それなりに視線を追える目など、大きく逸脱はせず令和のゴジラを描き出しており、『シン・ゴジラ』の次に公開された実写作品として理想的な塩梅といえる。
アクション
肉弾戦では噛みつきと尻尾攻撃くらいしか使わず、もう少し腕を使ってもよい感はあった。明らかに沖にいるのに海面から上半身だけを出している時、ゴジラの下半身はどうなっているのかというのは長年の疑問だったが、これが描写されたのは今回が初めてかもしれない。
ダメージ表現
今回のゴジラはかなり脆く、その代わりに凄まじい再生速度が強調されている。恐らく防御力の低さではエメリッヒ版ゴジラに次ぎ、おおよそ平成ガメラ程度だといえば、特撮ファンには伝わるだろうか。時代背景的にこのくらいでなくては倒しようがないという作劇上の事情がちらついたのは少々残念だったが、まあこれはこれでありだろう。
熱線
ゴジラの熱線シーンは、チャージ描写、発射描写、効果描写の3つからなる表現なわけだが、ゴジラはデザインの伝統がかなり強めのキャラクターなので、使える小道具は限られている。熱線は近年のゴジラ映画における演出家の腕の見せ所といえよう。
『シン・ゴジラ』の熱線シーンが画期的だったのは、ゴジラの顎が展開し、熱線が細い線状で。甲高い異音が鳴るというお約束をいくつもぶち破った上に宮崎アニメ(というか庵野のレーザー)の系譜をかなり強く感じさせる描写だったからで、それに比べると本作の遊びは比較的おとなしい。
しかし、背びれが尻尾の方から順に発光しつつ飛び出し、制御棒めいて再度挿入されることで熱線のトリガーが引かれるというアイデアは、まだおとなしかったハリウッド版を日本風に派手にしたものになっていて、恐らく『シン・ゴジラ』がなければかなり斬新な描写と評価されていたであろう。効果としてもしばらく吐き続ける水流様の描写ではなく、一閃したのちにキノコ雲があがる爆発型(パルス型)なのはかなり珍しい。類似の表現としては『GMK』の一発目があるが、あれはその後のシーンで従来の熱線に近い描写がなされるので、純粋な爆発型の熱線は今作が初めてなのではないだろうか。
2.ゴジラ対策のアイデア
SF的考察
ゴジラといえばオキシジェン・デストロイヤーやら抗核バクテリアやらの特別なアイテムがなければ倒すことはおろか弱体化させることもできないのがセオリーだが、今回のゴジラの倒し方は、簡単に言えば深海の水圧を利用して圧殺するというもので、いかなる超兵器にも、突飛な推測にも頼らない現実的なものとなっている。リアリティに定評のある『シン・ゴジラ』でも、結局のところゴジラが血液凝固剤で凍結する理由は「ゴジラの体にはスクラム機能があるに違いない」という要は単なる推測によるものだったので、今作のゴジラ対策はそれらから頭一つ抜けて現実的であると言って良いと思う。(『シン・ゴジラ』では他にも遺伝子に関する発言などに瑕疵がある。今作では時代背景的にゴジラの生態について大した分析が出来ていないが、これがかえって余計な言及をしないことに繋がっている)
民間主導のゴジラ対策
これは『シン・ゴジラ』のカウンターパート的なものとして本作を位置づける意図があったものと思うが、ゴジラ映画として極めて稀なことに、今作のゴジラ対策は最終的に民間主導で行われる。構成員はほぼ元軍人で、使う装備もだいたい旧軍由来なので、実質的には軍主導といえなくもないのだが、民間ならではのオープンな空気が漂っていることは特筆すべきであろう。
恐らくだが、本作のコアとなるのはこの部分であって、終戦後間もない時期という時代設定などは、このために存在するもののような気がしている。
これは「官・軍の対ゴジラ作戦と足元で逃げ惑う民間人」という従来の怪獣映画の構図を超克しようという試みと思われ、意図としてはかなり高く評価できる。「意図としては」だが。
舞台を海の上にするという試み
これまでのゴジラ映画では、大抵の場合、ゴジラに対する迎撃は彼が上陸してから本格化する傾向があった。もちろん軍艦をもって海上で迎撃に当たった例はいくつもあるが、ほとんど瞬殺されるのであまり意味のあるシーンとは言い難かったのである。
海上にはゴジラの巨大さを実感させうる比較対象としての建物や地形が存在しないのが、この理由であろう。
しかし本作ではこの伝統をやぶり、決戦場を海上に設定している。陸上でゴジラを不用意に刺激すればどうなるかを端的に表現したのが、本作の銀座の熱線シーンなわけで、被害をごく少なくできる海上で戦うというのはとても合理的な思考といえる。
実際に今作は軍艦とゴジラがかなり距離を置いた状態で物語が展開するが、それでもしっかり巨大感があるのはひとえにCG技術の進歩の賜物といえよう。
3.終戦直後という時代背景の活かし方
これはここまでですでにある程度語っているので手短にしておくが、要するに人間ドラマパートの登場人物が、観客に理解しやすい卑近なテーマを表現しつつ、ゴジラ対策の当事者となる為には、官・軍が主導する体制が整っていてはならない、ということであろう。
戦前なら「旧日本軍VSゴジラ」になるし、戦後もう少し時間が立てば『シン・ゴジラ』の焼き直しとなる。となれば、もはや終戦直後の焼け野原以外に選択肢はない。そのために、米軍にもちょっと強引に不干渉を決め込んでもらったわけである。
4.音楽の使い方
本作は、初代以外の全ゴジラ映画を見わたしても稀な、「”いわゆるゴジラのマーチ”を正しく使用しているゴジラ映画」である。
初代『ゴジラ』を鑑賞すれば一目瞭然だが、もともとあの勇壮なテーマは自衛隊の活躍シーンで流れるものであり、有名な伊福部マーチと双璧をなす「人間のテーマ」なのである。
本来ゴジラのテーマと呼ぶべきなのはもっとおどろおどろしい旋律を特徴とするもので、初代『ゴジラ』の上陸シーンなどで流れているものだ。これは聴き比べてみれば、どちらが何を表現したいか誰にでも分かると思う。*1
本作でも銀座のゴジラ登場シーンではゴジラのマーチが使用されており、この点では『シン・ゴジラ』同様筆者は失望しかけたのだが、終盤の「ワダツミ作戦」におけるアップテンポでの用法は完璧といってよく、近年はまずお目にかかれないものであり、かなり「分かっている」選曲といって差し支えない。
長くなってきたので、後半の「悪いところ」は別記事にする。
それでは。